プロフィール
島谷洋幸(國崎真広)
島谷洋幸(國崎真広)

【出身地】
兵庫県相生市


『独学』ながらもプロの世界で邁進し続ける、新進気鋭の津軽三味線奏者で、古典の世界では極めて珍しい逸材である。

幼少の頃から音楽に親しみ、14歳より『独学』で津軽三味線の奏法や楽曲などを身に付け、伝統を重んじながらも独自の演奏を築き上げ、青森県・郷土芸能協会主催の津軽三味線全国大会・各大会において多数の賞を受賞するなど、その『才』が認められている。

現在は年間150件以上もの公演・イベント出演をこなしており、自身のコンサートでは自慢の歌声(民謡・演歌)を披露していることから、『歌える津軽三味線プレイヤー』をキャッチコピーに、国内だけに留まらず海外へと活動拠点の場を展開し、多方面において活躍中である。



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過去ログ

2019年04月30日

☆平成最後の日


アクセスありがとうございます(◍•ᴗ•◍)ゝ


平成最後の投稿です!

長文になりますがお許しを!


昭和63年10月12日

"オギャーオギャー"

僕はこの世に生まれました₍₍( ´ ᵕ ` *)⁾⁾笑


30歳 = 平成生まれ?と

よく勘違いをされるのですが

ギリギリの昭和生まれちゃんです٩(•̤̀ᵕ•̤́๑)


が、翌年(64年)の1月7日に

昭和天皇がお亡くなりになられ

僕が生まれて3ヶ月も経たない内に

昭和から平成へと時代が変わったので

ほぼほぼ...

平成生まれではありますが、、(笑)


この30年間を改めて振り返ってみると

本当にいろんな事がございましたが

僕の人生を大きく変えるきっかけとなったのは

何と言っても、中学生の時に出会った

"津軽三味線"です!


ブログでも何度も投稿してきましたが

"プロの津軽三味線奏者になること"

"三味線を片手に全国・世界を巡ること"

が、中学生の頃からの僕の夢でした。


初めて挑んだ全国大会でタイトルを獲得!

それを機に、20歳の時にプロの世界へ...


が、プロの世界は決して甘いものではなく

出だしの頃は仕事の依頼が来ることもなければ

営業に行って必死で頭を下げても、貰えるのは

・小さなイベントの前座(5分くらい)

・カラオケ喫茶でのミニライブ

・最終的には路上ライブで小遣い稼ぎ、、

(いずれも稼ぎは1日数千円くらいでした)


僕が思い描いていた世界とは

全くかけ離れたものでした。


が、そんな小規模のイベントから

また次のイベントへと繋がり...

ご縁を頂いた(出会った)方が

僕のことを宣伝してくれて

さらに次のご縁へと繋げて下さり


そんな流れが続いた結果...


気が付けばプロの世界に入って10年!


10年でっせ(゜゜;)笑


そりゃぁ ~ "芸能生活40周年・50周年"

の方々からしたら、10年なんて

昨日今日の話かもしれませんが...


私にとっては開花の10年!!


10年の長きに渡り

皆様方にお育て頂いて参りましたm(__)m

皆様のお支え、お力添えが在ったからこそ

今の自分が居ると、実感しております。


しつこいようですが、この30年間

本当にいろんな事がありましたが

1つ1つの出来事、1つ1つの出会い...

今となっては全てが"僕の財産だ"と

これまた実感しております。


そんなこんなで、思い出の詰まった時代なので

新時代到来の喜びよりも

平成の時代とお別れをしなきゃいけない

悲しい気持ちの方が今は強いのですが...





平成の時代を元気に歩ませて頂け

心から感謝を申し上げる次第です!


令和の時代も"日々努力"を合言葉に

一歩一歩精進して参ります。

どうぞ皆様、これからも相変わらぬ

ご指導並びにご鞭撻

そして一層のご声援賜りますよう

心からお願いを申し上げますm(__)m


最後に1つ。

令和の時代は大きな震災が無いように...

イジメや虐待、悲しいニュースが無くなり

平和な時代であるようにと...

切に切に願っています。


長文に渡り、最後までお読み下さり

誠に有難う御座いました(`・∀・´)ゝ


【平成、本当にありがとう!】



平成31年4月30日
津軽三味線 島谷洋幸


Posted by 島谷洋幸(國崎真広) at 11:17